#1 「st companyのルーツ」
まず自分の洋服のルーツと言えば、初めて自分で買ったホンコンシャツ(テイジンテトロン製)です。
中学生の時ですが、当時380円で買いました。
その頃ラーメンが40円でしたね。
あと、エルヴィス・プレスリーの映画を観たのをきっかけにどんどん服への興味が湧いてきました。
「やさしく愛して」、「ブルーハワイ」などを観て映画の中でプレスリーが着ているシャツがとにかくかっこ良くて。
当時デザインとかボタウンダウンとか名称は知らなかったので、「あの型(カタ)のシャツが欲しい!」という具合で、探したのを覚えています。
何の影響を強く受けたかというとやはり、音楽の影響は大きかったです。
その当時の遊びは、「レコード」と「服」しかなかったですよ。
今でも「服」しかないから、ほんと変わってないですね。(笑)
ビートルズから、ローリングストーンズ、ビーチボーイズ、ポールアンカー、プレスリー、テンプテーション、シュープリームズ、スティーヴィーワンダー、ニール・セダカ、ピーター・ポール&マリー、クリフ・リチャード、など
色々な音楽を聞きましたね。
「 ザ ヤング ワーン♫ トゥルルル〜♫ 」 (クリフリチャードの歌を歌い出す)
あとは、ラジオでFEN放送(注1)を聞いて色々な洋楽を知りました。
(注1)
FEN放送:在日米軍の軍人とその家族向けに放送されていたラジオ番組で、本国と同じような音楽やトーク番組など最新のアメリカの情報を知ることができた。
17歳の頃の写真あるんですよ!
この時は、フィッシャーマンジャケットに、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ。
スニーカーは「VAN」(注2)のウェーバーでしたね。(コンバースオールスターのスタイル)
「VAN」のウェーバーは950円で買ったのを覚えています。
17歳当時の写真
その頃のこだわりとして、まずパンツは
ループありは、裾をダブルに、
ベルトなしは、裾をシングルに、
ダブルの場合も4.5cmと細かな寸法まで自分のこだわりを持っていましたね。
地元桐生では、当時最先端のファッションを提案する「シャイン」という洋服屋さんがあり、中学3年の時に「JUN」(注2)の取り扱いがありました。
高校1年の時には、東京オリンピックの制服を作った、石津 謙介さん(ヴァンジャケットの創業者)などの影響もあり、トラッド、アイビーなどが好きでその頃からファッションに没頭しましたね。
(注2)
VAN、JUNは、1960年代のアイビー、トラッドファッション流行の火付け役となった代表的なブランド。
地元桐生では、「シャイン」、東京では「ミツミネ」で洋服を買い、
靴は「アメリカ屋」でサドルシューズ、ローファー、プレーントゥなど買いました。
自分には洋服しかないと思い、高校の時に「自分のブティックを持ちたい」と決意していましたね。
高校卒業後、色々な職業につき、
最後に埼玉県熊谷にあった先輩のお店で無給で働かせてもらいました。
3ヶ月の見習い期間を終え、1978年9月18日に念願の初のお店「イソップ」をオープンしました。
初のお店「イソップ」のオープン
はじめの10年はなかなか軌道に乗らず苦労の連続でした。
10年後にやっと少し軌道にのり、桐生にも店舗数を増やし、前橋、高崎と県内で多店舗展開を始めました。
そこから、今のお店の基盤になった「PENNY RAIN(ペニーレイン)」をオープンし、そこから現在の店舗「st company」の方向性、形が作られてきました。
当時は「セレクトショップ」、「ライフスタイルショップ」などの言葉がなかった為、独自で「提案型店舗」と名付けていました。
PENNY RAINではzuccaなどのデザイナーズブランドの展開が始まり、
数年後には高崎にもPENNY RAINの2号店「ANTENNE DEUX(アンテーヌ ドゥー)」をオープン。
ANTENNE DEUXオープンのため、parisに買い付けに行き、その時初めてインポートブランドを買い付けするようになりました。
そこからデザイナーの作る服の素晴らしさに目覚め、その後インポートブランドでは、ヘルムートラング、ジャンコロナなど、日本のブランドでは、20471120(トゥーオーフォーセブンワンワントゥーオー)、Kyoichi Fujita(キョウイチフジタ)など色々な個性あふれるデザイナーの洋服を展開していきました。
今でも取り扱いのあるCOSMIC WONDERはブランド立ち上げ初期の頃から展開しています。
現在st companyの格となるブランドHYKEの元のブランド「green」もファーストシーズンから取り扱いしています。
この2ブランドとは、とても信頼関係が深く長くお付き合いさせて頂いています。
当時のstの番頭さんが、ヨーロッパへの買い付け時に、アントワープ王立アカデミーの卒業制作コレクションを見に行き、若かりし頃の「ベルンハルト・ウィルヘルム」のランウェイショーに感動し、直接彼らから買い付けをしました。
その頃、アントワープ、パリなどで今まで見たことのないクリエイションの洋服に出会うことができ、次々と開拓を始めていきました。